大学の先輩が亡くなったそうだ・・・2014年05月22日 20:27

今週の日曜日の夜、大学時代のサークルの先輩(私より1つ上)が亡くなったそうだ。

1ヶ月くらい前に緊急入院して、あっという間の出来事。


もう数年に1回くらいしか会うことはなかったが、サークルの中では、名バイプレイヤーの役割を担っていた人。

改めて、もういない、ということが信じられない気分。

こういう話を聞くと、急に死というものが身近になってくる。

そう滅多にある話ではないが。


人生何が起こるかわからない。
元気でいられることが、どれほどありがたいことなのか。

感謝して、一日一日を大切に生きていかねばと思う。

明日は告別式。参列してきます。

告別式に行ってきた2014年05月23日 14:42

先日亡くなった、大学の先輩の告別式に行ってきました。

46歳という、まだまだ早すぎることに、改めて寂しさを感じます。
奥さんもまだ若いので、よけいそう思います。

しかし、それ以上に思ったのは、先輩のご両親。
当然、まだまだご健在なわけです。

特にお母様の姿は、本当に見ていて気の毒でした。

あくまでも不慮の事態だったのですが、親よりも先に子が亡くなること以上の、親不孝はないと思いましたね・・・


ところで、会葬者の大半は、火葬場まで同行したようですが、私は仕事を休めないので、出棺までで帰りました。

とにかく、生きているだけで丸儲け。
一日一日を大事にしていかねば、と。

中5日でどうだろうか?2014年05月25日 20:11

平成27年度の都立高校試験日が、2月24日に確定したようだ。
このところずっと、23日だったが、今年は東京マラソンのため一日後ろにずらし、その日程を今年度も踏襲するということのようだ。

ただし、合格発表日は後日決定とのこと。

私立の併願優遇の手続き締め切りや、分割後期や二次試験の日程に影響するので、早く決めたいところだが、今年の採点ミス騒動を受けて、改めて日程を調整すると言うことらしい。


確かに、今年のミスを誘発する一つとして、日程の短さはある。
24日受験、28日発表だと、中3日。
採点に当てられるのは、せいぜい2日しかない。

やはり性急すぎたのかもしれない。

ちなみに自分が受験したときは、たしか1週間あったと思う。


受験生にとっては、早く結果を知りたいだろうが、ミスがあっては意味がない。

カレンダーから考えて、私は3月2日(月)になるのではないかと思っている。日曜日も含めて中5日。まあ、このくらいが妥当だろう。

今年はミスなく入試を行ってもらいたい。

自分で値決めが出来ない業界2014年05月26日 12:21

こんな商売をしている業界が、まだあるんです。

物価統制令!が唯一適応される業界。


銭湯です。


最近多くなったスーパー銭湯とは違う。いわゆる公衆浴場。



毎年今頃、各都道府県の役所で開かれる審議会の答申に基づいて、上限価格を決める。
もちろんこれを上限に、各店は自由に値決めして良いはずなのだが、そんなところは見たことない。上限価格をそのまま適用。

ちなみに東京都は今回460円にする予定(据え置きは違っていた模様)。増税分は上げていないので、実質ほんの少し値下げ。

東京が、価格のオピニオンリーダーになっているようなので、業界の総意としてこれ以上上げると、客離れすると思っているのかな。ちょっと違うと思うけど。

しかし不思議なもので、この審議会のメンバー、日常的に銭湯を利用している人はほとんどいないらしい。
日頃銭湯を利用しない人が、銭湯の上限価格を決める。

何とも不思議な業界。


結局、努力してもしなくても同じ、と言う構造が、衰退を招いてきたと思う。

今時、風呂なしの家はほとんどない。


じゃあ、何のために来ているかというと、家の風呂では得られない部分を味わいに、である。

大きな湯船に浸かる快感を覚えてしまったら、家の風呂には戻れない。
さらに、ひとり暮らしのため、わかして掃除する手間が省けるという実務的な面も大きい。

その部分に特化して繁盛しているのが、スーパー銭湯であろう。
手軽に温泉気分が1,000円程度で味わえたら、時々行こうという気になる。


今や、必要に迫られて湯に通っている人など、本当に少数派だろう。
しかし業界の感覚は、未だにそれ。
確かに、公衆衛生をになっている部分は否定しないが。


ただ、客は正直で、設備が良かったり、遅くまでやっていたりするところが結局流行っている。
客商売の意味をよくわかっているところが流行っている。


今後、どうしても公定価格を維持したいというのなら、各店ごとに割引制度などを自由に設けても良いと思う。
常連向けに、その店でだけ使える回数券をもっと安く提供するとか。
(なぜか回数券も、都道府県ごとの共通)

個人的には、中高校生は割り引いても良いと思う。
中学生以上は大人料金だが、仲間と来たら割り引くとか。確か映画がそうでしたよね?

若い人に、銭湯の良さを知ってもらうことは、将来のためにも大事。


ただ湯を沸かして待っているだけでは、ポテンシャルを生かしていない、そんな気がしてならない。

テスト日の午後は、何のためにある?2014年05月28日 12:24

定期テスト期間中は、大概午前中で終わる。
午後は丸々空くのが通例。それが数日続く。

では、この午後は何に使うかというと、当然、次の日の勉強のためである。

どこでやろうとかまわないが、1人で集中してやるのが普通だろう。


どうしてもわからないところを教えあうのはかまわないが、せいぜい1~2時間くらいで切り上げ、自分の勉強に集中すべきである。

友達同士でやるというのは、ほぼ効果ないと思ってよい。
せいぜい、一緒にがんばった感(ほぼ幻想)が得られるだけである。


私も普段あまり勉強したとはいえないが、テストの日の午後だけは1人で集中してやった。テスト勉強を友達とした記憶はない。
特に高校生のときは。帰宅して昼食を済ませ、あとは夕食と風呂以外は、ひたすら勉強。10時間くらいぶっ続けも珍しくなかった。普段サボっていたツケを解消していた^^;
ときには、夜中眠ってしまい、2時くらいに親に起こされたことも良い思い出である。


経験上、この午後の時間の費やし方は、成績と相関関係がある。


今日も、夜の9時過ぎになっていきなり塾に来た高校生がいる。
彼は、中3でうちをやめているので、正式には生徒ではない。
しかし、時々こうしてやってくる。
それはそれで、授業に支障がなければかまわないと思っている。


来るのはかまわないのだが、今日からテストだという割には、あまり緊迫感がない。

そもそも、午後の時間何をしていたか聞くと、学校で友達と勉強していたという。

まあ、その段階で私の予想は的中。
「していた」だけで終わっていることは間違いない。

明日は数学だそうでわからないところを聞いてきたが、そんな態度で、この段階でいくら教えたところで、本番に役に立たないことは明白。まずは解答を見て自分で調べろ、と突き放す。

案の定、10分とせずにテキストを畳む。
「もうわかった」とのこと。


・・・言い方悪いが、自力で解決できないことがわかっただけだろう。



教えることはやぶさかではないが、厳しく接することも大事である。


もしこれが、「塾長! 何時からいる? 数学わからないので教えて! 学校終わったらすぐ行くから!」
と言われたのなら、たとえ現生徒でなくても教えてあげるというものだ。

しかし、今の彼にはそういう覚悟もない。


言葉では、「やっている」と言うが、そんなもの瞬殺である。
雰囲気で、だいたい何点とってくるかなんてわかるものだ。

他人をごまかしているうちに、いつしか自分をごまかすことになる。


高校生活が楽しいことは結構だが、高校の勉強はそんなに甘くない。
中学の延長で、半身で出来るほど簡単ではない。
まずはその気持ちを捨て去らない限り、同じ事を繰り返す。

そこにいい加減気がつかない限り、いつしか勉強が苦痛になるだろう。そうなってからでは遅いのだが。



やはり、中学生くらいまでに、しっかりと勉強と向き合う姿勢は身につけてほしいと、生徒たちに切に願う。
勉強は、子どもたちを成長させる要素である。
その本質は忘れずにいたい。

自立を勘違いしてないか?2014年05月29日 11:01

子供たちを自立させるのが、教育の目的である。

しかしそれは、放任ではない。

子供たちの自主性を尊重する形をとるが、あくまでもそういう方向性に仕向ける、陰の仕掛けがあってこそである。

過保護はいけないが、その反対の放任も問題がある。

この中間がないのが問題なのである。


仕掛けるこそが教育なのだが、自立を勘違いすると、限りなく放任に近くなる。

周りの大人が考えることを放置すると、子供の自立はかえって損なわれる。

規制のない、自我だけが肥大化する。


結果、いいようにだまされかねない。



もう高校生なんだから、自分の小遣いくらいは稼げ、とアルバイトをさせる。
その是非はともかく、仕事は本人に決めさせたとしても、何の仕事をしているのか? いくら稼げているのか? 学校の勉強に支障はないか?

そのくらいの干渉は必要である。


個人的には高校生のアルバイトは、最低限度にすべきだと思っている。
せいぜい、長期休み期間くらいだけ。

小金を稼ぐことを覚えると、そのお金を使うことを覚える。
その誘惑の前に、勉強はあまりにも無力である。

何とか高校を卒業できたとしても、その先がなくなる。


あまりにも代償が大きくないか?


自主性と干渉の距離感が難しいのだが、そこにこそ教育の醍醐味がある。
そして、導く側の考え方というか、人間性が問われる。
気が抜けない仕事である。

コミュニケーション能力2014年05月30日 21:54

全般的に、女性の方が高いとは言う。
女性は、常に相手を観察して、相手の表情や動きをよく見て、話しかけるタイミングを計っているという。
こういう柔軟な対応力は、女性の特権かもしれない。

コミュニケーションは、一種のリズムである。
リズムが悪いと、話が続かないし、そもそも会話することが迷惑にもなる。

ごくたまに、このリズムがとっても悪い子がいる。

こちらが授業をしているときにいきなり来て、自分の言いたいことをぶつける。
こちらも対応しようがないし、そもそも勉強している子に失礼でもある。
そのへんは、言葉として好きではないが、空気を読まなければならない。



基本的に子どもは話を聞いてもらいたいので、多少のリズムの悪さは、子どもとつきあう以上何とも思わないが、それでも看過できない場合もある。
ある意味、幼児性が残っているのかもしれない。

しかし、相手はお母さんではない。

相手に話を聞いてもらいたいと思ったら、相手をよく観察して、今話して良いタイミングか?を考えなければならない。

一方的に言いたいことをぶつけられても、無視されるか、適当にいなされるかだけである。

コミュニケーション能力とは、相手を思いやることでもある。


あともう一つ。

他人に話を聞いてもらいたいなら、まずは自分が相手に関心を持って、相手のことを聞くことである。