そったくどうじ2017年04月04日 19:10

啐啄同時。漢字で書くとこうなります。

鳥の雛が卵から孵化するときに、内側からつついて割ろうとする。その様子を見た親鳥が、外側からつついて割るのを手伝う。ここから、「啐啄」は、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現とされています。

 子どもの教育って、まさにこれで、やはり教える内容や技術はもちろんですが、このタイミングが一番大事なのです。要は、その気にならないと効果が出ないと言うこと。

 ところが今の教育システムは、実際のプレイヤーよりも外野(それも実際には現場に一切携わらない観客レベル)が遙かに多いため、彼らの声に必要以上に振り回されているきらいがあると思います。教育は誰でも受けた経験があり、それぞれの思いがあるからなんでしょう。

 あれもやれ、これもやれといろいろ詰め込みすぎている。授業で扱えば、先生が教えれば、それでなんとかなると思っている。しかし実際は、そこからが本当のスタートなんですが、なかなか外野には伝わりにくい。

 スタートの理由は、まさに「啐啄」が来ないからなのです。当の本人も頭ではわかっているのです。しかし体がついて行かない。

 やはり、そのタイミングを待つしかないんだと思います。何回も申し上げているように、適度な距離を持って見守るのが、教育の基本だと思うのです。

 待っているのは、不安なんですよね。間に合わないのではないか?(何に?)とか、ずっとわかってくれないのではないか?とか。

 確かに、勉強は「やらされているもの」、と思う子が多いでしょう。しかし、子どもたちにしっかり勉強させることは、彼らの未来を守ることでもあります。

 必要なことは言い続ける。伝え続ける。でも、タイミングは待つのみ。

 私もずいぶん試行錯誤しましたが、結局これが一番確実な方法だとようやく学びました。

 信じて見守れば、必ず変わる。

 大人に余裕がなくなれば、子どもたちはもっと余裕がなくなる。少なくとも評論家的な見方はやめて、彼らを信じて手を打ちつつ見守る。それを基本にしたいと思いますね。

休止期間中の出来事 その12017年04月26日 18:55

しばらくブログ更新を休んでおりました。

実は、入院しておりました。

いわゆる胆石症、総胆管内の結石除去と胆嚢の切除の手術も受けました。
入院期間は約20日。

あらためて、生徒や講師にはご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ない。

今後の予定については、個々に連絡してあります。


さて今回の病気、元々は​ここ​から始まります。

あのときの入院は、内視鏡の処置だけで終わったので、比較的短くてすみました。
で、そのときに、いずれは仕事の様子を見て、胆嚢の除去手術を勧められてはおりました。
もしそのときに素直に従っていれば、もう少し入院も短く、処置も簡単だったはずです。

今となっては後悔してます。
忙しさにかまけていい加減にしていたことを。


そもそも胆嚢とか胆石ってなに?ですが、
肝臓の下に総胆管でつながっている袋状のものが胆嚢です。総胆管は、そのまま十二指腸とつながり、胃から消化された食べ物と合流して小腸に行きます。

また、肝臓からは脂肪分を分解する胆汁が、一日500CC位出るそうですが、それを一時的にためておくのが胆嚢の役目です。

で、コレステロールや脂肪分が多い食事をとったりすると、たまに胆嚢の中に結石ができます。それがおとなしく胆嚢の中にある分にはなんの問題もないんですが、それが何かの弾みで動いたりすると、本当に痛いんです。

痛いだけではなく、総胆管の方に流れ出して、途中で詰まる可能性もある。
そうなると、胆汁の出口が止められますから、黄疸が出て、さらにほっとくと敗血症になって死に至る可能性もあるわけです。

たかが石ですが、下手すると大変危ない。
で、私の場合、前回の入院の時に、胆嚢内に大きな結石が2つほどあることが認められてました。

で、今回そのうちの1つが流れだし、あろうことか、胆嚢と総胆管のつなぎ目にはまり込んで動かなくなったんです。


どうにもつらいんで病院に行ったのが、4/7。

検査の結果、黄疸が認められ、即入院となりました。

長くなるので、この項、もう少し続けます。

休止期間中の出来事 その22017年04月27日 18:57

昨日の続き

ずっとほったらかし状態だった、胆嚢内の結石。
時々、変だなあと思ったことはあったのだが、まあ大概数日で収まっていた。

それがまた本格的に悪さし始めたのが2月の中旬。
受験の直前という、最悪のタイミング。

あまりにも痛いので、急遽入院していた病院へ。

これはもう手術しないと無理だろう、と医者には言われましたが、受験と新年度を迎えるという最悪のタイミングなので、とにかくここを乗り切ったら・・・とだけ考え、後は痛み止めの薬でだましだまし作戦。

数日間は痛んだら薬で抑えるの繰り返し。
しかし、どうしても痛みが止まらず、塾を途中で切り上げたこともあった。
そうこうしているうちに、1週間位で不思議と収まる。

2月の下旬から3月中は、それで乗り切れる。
もちろん通院は続けていて、様子を報告しながら、手術の日を探る繰り返し。

しかし今から思うに、一旦収まってしまうのが、この病気のやっかいな点。
人間、痛くなければ動いちゃいますからね。

そんなこんなで、新学年を迎えた直後の4/3頃、また痛みがぶり返す。
このときも薬で・・・と思っていたのですが、どうにもならない。
なんとか夕方に集中的に薬を飲んで、数日間は塾を開いてはいた。

で、4/6が次の通院日だったのだが、その日の朝から身体がだるくてだるくて、通院を断り、翌日に振り替え。
なんとか、夕方からの塾だけは開ける。

しかしこのとき、もう覚悟していたのでしょうね。
生徒全員に、明日から塾を休みにする連絡だけはしてました。

今から思うに、石が詰まり、もうこの頃から黄疸症状が出かけていたんだと思います。
でも、塾を開けて生徒に連絡したのは、ただただ責任感。
火事場の馬鹿力ですねえ。

翌日4/7は、10時頃に這々の体で病院へ。
血液検査をした結果、あり得ない数字が。

医師から、「即入院」の通告。

でも、何も準備してないし、家の中がそのままだったので、1時間だけ外出許可もらって、なんとか家まで戻り、当座必要なものだけ持ち出して病院へ。

そのまま入院生活へ・・・

この項、もう少し続けます

休止期間中の出来事 その32017年04月28日 19:21

その2の続き

即入院と言われたのが、4/7
入院するとすぐに処置室に運ばれて、内視鏡による検査と処置

口から内視鏡を入れられ、胆石を取り出そうとした模様だが、もう麻酔が効いてよくわからない。

後から聞くに、胆石はとても内視鏡レベルでかき出せる大きさではなく、結局、たまっていた膿を出すだけで終わった模様。

気がついたときには、鼻からチューブを入れられ、胆汁を外に出す処置がなされていた。
(胆汁がまた詰まると同じ事になるため)

このチューブ、喉を通っているので、しばらくの間喉の違和感があったのだが、直に慣れてくる。
しかし堅い食べ物は無理なので、おかゆと、軟菜というゆでた柔らかめの食事になる。時々つくねとかささみが出る程度。実に味気ない病院食が続く。
(おかゆが10日ほど続いたので、今はおかゆを食べたいとは全く思わない 笑)

処置後の翌日は土曜日。
その週末はひたすら安静。
とはいえ、チューブをつけられたとはいえ体は動くので、ひたすら暇。

このとき、「ああ・・・とうとう病院に入れられたんだなあ・・・ 生徒には申し訳ないなあ・・・」
という気持ちと、もう、まな板の上の鯉という開き直りの気持ちとが入り交じる。

で、月曜日。
CTにかけられ、体を寝かされたり起こされたり。

ここで正式に、胆嚢と胆管のつなぎ目に結石がはまり込んでいる事が確定。

もはや開腹手術で、胆嚢の除去と胆管を少し切って、結石を取り出さないと治らないと言われる。

開腹は術後の経過が遅くなるし、手術なんて初めてなので、気持ちとしてはイヤだったが、もう従うしかない。

で、手術日が14日の金曜日 昼過ぎに決定。
これも予約が入っているところを無理に調整してもらった模様。

今から思うに、その週は長かったなあ。
ひたすら安静と称して、何もしない日々。

食堂に行って電話したり、ラインして生徒に連絡したりの日々。
時々お見舞いにも来てもらいました。
あとは、こんなに休める事も滅多にないので、寝てましたねえ・・・

で、手術の前日。
なんとこの日は私の誕生日^^;

まさか、病院で迎えるとは思いませんでした。

あの日の晩は、やはりイヤでしたね。
ちゃんと目が覚めるんだろうか?って。

ただ、夜はそれなりに寝られたし、朝になればもう開き直ってました。

たまたま午前中、隣のベッドの患者が手術。
朝早く出て行き、昼前に呼吸器をはめられて戻ってきた模様。

ああ、次は自分だな・・・ ってちょっと不安になったりもしました


というわけでいよいよ自分の番。

よくドラマにあるように、ベッドのままガラガラと連れてかれ、家族が見守る中、弱々しく手を振って、手術室の中に入る・・・



なんてことはありません。

手術着を着せられて、エコノミークラス症候群対策のためのきつめのタイツをはかされて、あとは看護師の付き添いの元、自力で歩いて行きます。
病室は4階、手術室は2階。エレベーターで下ります。

そのまま部屋の中へ。
ここからはオペナースに交代です。

長くなるので、さらに続けます


平成29年4月28日(金)  大田区松栄塾 記