予習は何のためにやるのか? ― 2014年04月30日 11:19
高校くらいになると、英語や古典などは予習必須となる。
それはそれで良いのだが、問題はそれをどこまでやらなければならないのか? である。
基本的に予習というのは、
次の授業範囲で、自分がわかるところとそうでないところを明確に区別するため
に存在するはずである
だから、完璧にやる必要はない。
しかし学校の先生によっては、完璧さを求める人が出てくる。
だからまじめな子ほど、割を食う。
そもそも完璧に出来るのなら、その授業は必要ないはずである。
おまえの授業は何? と聞きたくなる。
あくまでも生徒からの伝聞だが、学校の授業は全体的に雑。
ざっと説明するか、ひどいのになるとプリント配って、「読んどいて」で終了。
あとは小テストの嵐。
そりゃあ、自分で勉強する必要は認めるが、そこに誘導するのが、教師の力量だろう。
こういう学校は、「自称進学校」という言葉が頭をよぎって仕方ない。
それはそれで良いのだが、問題はそれをどこまでやらなければならないのか? である。
基本的に予習というのは、
次の授業範囲で、自分がわかるところとそうでないところを明確に区別するため
に存在するはずである
だから、完璧にやる必要はない。
しかし学校の先生によっては、完璧さを求める人が出てくる。
だからまじめな子ほど、割を食う。
そもそも完璧に出来るのなら、その授業は必要ないはずである。
おまえの授業は何? と聞きたくなる。
あくまでも生徒からの伝聞だが、学校の授業は全体的に雑。
ざっと説明するか、ひどいのになるとプリント配って、「読んどいて」で終了。
あとは小テストの嵐。
そりゃあ、自分で勉強する必要は認めるが、そこに誘導するのが、教師の力量だろう。
こういう学校は、「自称進学校」という言葉が頭をよぎって仕方ない。
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