効率よくやる前にするべきこと2014年10月01日 10:26

効率よく、短時間で勉強をしたい

その気持ちはよくわかるが、では問題です。

いったい、何と何をやれば、効率が良い勉強と言えるでしょうか?

この質問に具体的かつ明確に答えられる人は、実はよく勉強している人です。

大概、教科書を見れば良いとか、ワークをやっておけば・・・とか抽象的な表現で終わります。


答えになっているようで答えになってません。


結局のところ、効率的にやる前に大事なことは、圧倒的な勉強量です。
効率的にやる前に、非効率的なことを積み重ねる。

矛盾してますが、事実です。


勉強しないと、何が効率的かわからないのです。

無知の知2014年10月04日 00:12

自分の現状を正しく知り、これから学ぶことは自分がまだわかっていないという、正しい認識を持つこと。

それが無知の知。


いくら自分がわかったふりをして、周りをごまかせたとしても、受験では瞬殺レベル。


わかったふり、出来るつもり


受験における実力勝負の世界では、何の意味もない。



まずは、自分の実力を「空(くう)の心」でウソ偽りなく客観視すること。


そこからしか本当の学びは始まらない


ちっぽけなプライドなど、すぐにこちらは見抜くし、何の意味もないことを自覚すべき。

いかに量を確保するか2014年10月04日 22:02

テスト勉強において、最も大事なこと

効率よくやるとか、効果的なノートの作り方とか、暗記の仕方とか・・・

そんなことではなく、いかにして、学習時間を確保するか?

ここに尽きると思う。


とにかく、一定量を投入しないことには、学習はできないし成果も上がらない。


そんなに長時間集中できないとか、いろいろ言い訳もあるだろう

中学生くらいだと、仕方ない面もあるが、高校生、特に大学受験生でそういうことを言うなら、申し訳ないが、受験をあきらめるか、今の実力で入れるところを探すしかない。


一日24時間から、睡眠(約7時間。削ってはダメ)と食事や風呂などの生活時間を引くと、休日ならば、約14時間は使える。その時間のほとんどを、この時期勉強に費やす覚悟がないと、満足した結果は出ないのではないか? 


とにかく、方法論ではなく、それに向かい合う姿勢。ここが最後はものを言う。
御託を述べている間はまだまだだと言うことだ。


もちろん人間は弱いので、理屈通りに行かない事は百も承知で言ってるが。

あきらめなければ夢は叶う?2014年10月07日 11:12

あきらめなければ夢は叶う

時々聞く言葉。


確かに真理ではある。

しかし、そこには大きな条件がつくと思う。



目標に向かっての正しい方法と、特にこれが大事だが、人一倍の努力。


まさに、言うは易く行うは難し である。


人間というのは弱いので。



基本的にはこの姿勢で間違っていないのだが、ダラダラと続けてしまうのなら、どこかで良い意味であきらめることも大事だと思う。


大学受験生の言葉で、「現役偶然、一浪当然、二浪平然、三浪唖然、四浪憮然」がある。(この先もあったと思うが思い出せない)

浪人生が8人に1人と言われている今は、もう死語に近いかもしれないが、言葉の響きから考えても、せいぜい二浪くらいまでで決着をつけるべきだと思う。

難関校にチャレンジする精神は立派だが、ある程度で見切りつけて、自分に合ったところに進学し、別の場所で生かす方法を考えた方が良いと思うのだ。


夢を追うことは大事だが、したたかに生きることも大事。

そして大半の人は、したたかに行った方が結果として幸福になるような気がする。


高い夢であればあるほど、競争も激しくなる。
その競争に、本当の意味で耐えられる人はどのくらいいるのか?

夢を追い続けた結果、後戻りしにくい年齢になって放り出されたら、それこそ悲劇だ。
(今はやってないが、漫才のM-1グランプリの陰の目的が、実はあきらめさせることだと聞いて納得した覚えがある)

あきらめるとは、明らかに見極める とも言える。決してマイナスな言葉ではない。

何の影響か知らないが、中身があまり見えない、妙なポジティブ思考ばかりがクローズアップされているが、一見ネガティブな言葉の中に、したたかに生きるヒントが見える。その中にこそ大半の人の生き方が隠されているような気がする。


執着心がありすぎると、視野も狭くなる。すぐ横に宝物があっても目に入らない。

私は20代で教員採用試験に失敗続き。大学でていきなり無職。
父親も同時期に亡くなる。

正直言って20代に良い思い出はない。
しかしその結果、妙な執着心はなくなった。我を張ることがあまりなくなった。

体力的に衰えを感じ始めるこの年になって、その考えが大いに役に立っている。


余談ですが、為末大さんが書いた、諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉 はお勧めです。

当然のことですが2014年10月12日 20:43

勉強できるようになりたい、成績を上げたいと思ったら、量を確保するしかない。

効率よくやるなんてのは、そのあとのこと。


大変恥ずかしいことだが、受験生になっても、家であまり勉強しない人もいる。
当然、復習などあり得ないどころか、課題すらやってない。

勉強しない理由を聞くと、やり方がわからない と言われることがある。
以前は律儀にやり方を教えていたが、どうせ理由つけて適当に割り引いてやらないことが多いので、自分で考えさせることとします。
まずは、目の前の課題や持っている問題集から取り組みなさい。

すべてはそこからです。



中学生くらいだと、まだまだ将来を見据えるだけの能力が未熟なため、ついつい目先の快楽で行動を決めてしまう。
(ごくごくまれに、大学受験生レベルでもいますが、これは論外です)

そこを追求すると、じゃあ、行けるところでいいやと逃げる。
目の前の不快を回避することしか考えていないから、こう言う台詞が出てくる。

確かに高校も選びさえしなければ、どうにか進学は可能です。
しかし、その先を冷静に考えてみてください

結果はわかるはずです。


学歴を無条件に礼賛しませんが、学歴がないとどうにもならない世界があるのは事実です。


ヤル気というのは、むやみに他人にコントロールしてもらうものではありません。
自分はどうしたいのか? 本気で考えて行動できるかどうか?
それが試されます。

オール3程度では、自分たちが考える以上に、進学先は限られるのです。
そこのところをよく自覚してください。


なお、大変情けないですが、明らかに自宅での勉強が不足している子には、当面宿題を辞めます。毎回毎回、忘れた と白紙で戻される身にもなってほしい。



しかしやはり、うちを信じて来てくれている生徒に、単に自己責任と切り捨てたくはないです。
最後まで彼らを信じて取り組んでいきたい。これが本音。

だから悩むんですが^^;

校内合唱コンクール必勝法?2014年10月20日 22:23

中学生の生徒たちは、合唱コンクールの時期になった。
文化祭と兼ねて行われるパターンが多い。
(最近は、ソプラノ、アルト、男声の三部合唱が主流のよう)

今はその練習が佳境のようだ。

中3にとっては、これが最後の大きな行事。


生徒に様子をきくと、昔の自分を思い出す

基本的に男子の声が弱い。
男子は恥ずかしいのか、あまり一生懸命に取り組まない(笑)



しかし、校内合唱コンクールの必勝パターンは一つしかない。


それは、男声がしっかりしていること
男声の声がハッキリ出ていたら、大概そのクラスは勝てる。

男子の声は前面に出て響くものではないが、ハーモニーに厚みを加える。
逆に言えば、男声が聞こえないと、実に平板。

本格的なコンクールではないのだから、大きな声でしっかりと歌えていれば、それだけで有利。
多少の音程が外れていたとしてもである。


だから、男子は重要なのだよ、諸君!^^;

思い切って歌って欲しい。

一つの区切りです2014年10月27日 20:46

本日、うちのお墓の一つを永代供養にしてもらうためにお寺に行った。

このお墓は、私の母方の祖父であるが、実は私の母も顔を知らない。
私の母が生まれる前に出征し、戦後はシベリアに抑留され、そこで帰国を果たせず、昭和22年に亡くなったとされているからである。36歳だったそうだ。

シベリアのどこで亡くなったかは、未だハッキリせず、今も調査中であることが、厚労省のホームページに載っている。おそらく母が遺骨に対面できることはもうないだろう。

そう考えると、私の命は、かろうじてつながってきたとも言える。

遺骨は当然ないが、お墓は祖父の父母と同じところに入っていて、私も小さいときから、春秋のお彼岸と夏のお盆の、年に3回のお参りを欠かさずやってきた。

しかし私の母も70を超え、夏には病気をしたこともあり、そのお墓に参る親族関係もないし、私もおそらく跡継ぎはいないだろうから、そのお寺の檀家からは外れ、永代供養にしてもらった。
まだ体力も余力もあるうちにである。

儀式は簡単。
お墓でお経を上げ、永代供養塔に骨壺を移すだけ。

祖父の父母も、私の母が生まれる前にすでに亡くなっているので、顔を知らない人を70年近くお参りし続けていたことになる。

だから、ここらが良い潮時だと判断。
無縁仏にしてしまうよりはずっと良い。

お寺に聞いたら、最近はそういう話が多いそうである。
家族も少なくなり、子どもの代にお墓の負担を残すのは忍びないという思いが多いそうである。


私自身も、何となく当たり前のように続けていたものが一つなくなるのは、少し寂しい気もするが、それも一つの節目だろう。