幼さからの脱却 ― 2014年09月01日 20:36
子どもたちが勉強する、一つの理由がここにあると思っています。
子どもは基本的に、面倒なことを避けたがります。快不快が行動基準です。勉強したがらないのはある意味普通なことなのです。
だからこそ、周りの大人が、何かを通じて大人へと導いていかねばならない。成熟させなければならない。それが勉強することだと思うのです。
中学生までに、いや、どんなに遅くても高校生の早いうちまでに、勉強するのは当然だ、勉強はしなければならない、という意識を植え付けなければ、おそらくそのまま行ってしまうでしょう。
もっとシビアに言いますと、高校受験での態度が、その後の勉強に対する姿勢を決めてしまうかもしれません。(高校受験はそれでも乗り切れますが・・・)
快不快が判断基準のまま、大人になってしまうでしょう。でもそんなの社会では通用しません。確実に大人になって壁にぶち当たります。年齢が上になるほど、深刻になります。
自業自得とも言えますが、子どもに自己責任という言葉を使ってはいけないと思うのです。それは大人としてあまりにも無責任です。だからそうならないために、多少の強制力を行使するのは大人の役目でしょう。
もちろん勉強以外に成熟する方法はありますが、そういう能力も才能もよくわからないという人は、勉強していた方が無難といえると思います。
勉強それ自体、一見すると決しておもしろくないかもしれません。勉強の内容自体、社会に出て直接役に立つことはあまりありません。しかし勉強を通じて培った姿勢は必ず役に立ちます。
わからないことに挑戦してわかるようになる
大量の暗記物を整理して頭に入れる
長時間勉強する忍耐力・・・などなど
必ず将来の力になります。
昔の15歳は元服。大人の仲間入りでした。今はそれが高校入学と言うことかもしれません。
別に学歴礼賛ではありません。偏差値の高低で学校を区別しません。しかし、幼さを脱却して高校に入るか否かで、そのあとがクッキリと分かれてしまうことだけは、経験上事実です。高校は普通科だけでなく、専門学科だってあるのです。
問題なのは、深く考えもせず、取り立てて熱心に勉強せず、漫然と進路を選んでしまうことです。
人間は弱いです。どうしてもヤル気にならないことはあります。それはよくわかります、だからこそそれを乗り越えることに価値はあるんだと思いますし、その術を一緒に考えていっているつもりです。とにかく、納得して進路を選んでほしいと思います。
子どもは基本的に、面倒なことを避けたがります。快不快が行動基準です。勉強したがらないのはある意味普通なことなのです。
だからこそ、周りの大人が、何かを通じて大人へと導いていかねばならない。成熟させなければならない。それが勉強することだと思うのです。
中学生までに、いや、どんなに遅くても高校生の早いうちまでに、勉強するのは当然だ、勉強はしなければならない、という意識を植え付けなければ、おそらくそのまま行ってしまうでしょう。
もっとシビアに言いますと、高校受験での態度が、その後の勉強に対する姿勢を決めてしまうかもしれません。(高校受験はそれでも乗り切れますが・・・)
快不快が判断基準のまま、大人になってしまうでしょう。でもそんなの社会では通用しません。確実に大人になって壁にぶち当たります。年齢が上になるほど、深刻になります。
自業自得とも言えますが、子どもに自己責任という言葉を使ってはいけないと思うのです。それは大人としてあまりにも無責任です。だからそうならないために、多少の強制力を行使するのは大人の役目でしょう。
もちろん勉強以外に成熟する方法はありますが、そういう能力も才能もよくわからないという人は、勉強していた方が無難といえると思います。
勉強それ自体、一見すると決しておもしろくないかもしれません。勉強の内容自体、社会に出て直接役に立つことはあまりありません。しかし勉強を通じて培った姿勢は必ず役に立ちます。
わからないことに挑戦してわかるようになる
大量の暗記物を整理して頭に入れる
長時間勉強する忍耐力・・・などなど
必ず将来の力になります。
昔の15歳は元服。大人の仲間入りでした。今はそれが高校入学と言うことかもしれません。
別に学歴礼賛ではありません。偏差値の高低で学校を区別しません。しかし、幼さを脱却して高校に入るか否かで、そのあとがクッキリと分かれてしまうことだけは、経験上事実です。高校は普通科だけでなく、専門学科だってあるのです。
問題なのは、深く考えもせず、取り立てて熱心に勉強せず、漫然と進路を選んでしまうことです。
人間は弱いです。どうしてもヤル気にならないことはあります。それはよくわかります、だからこそそれを乗り越えることに価値はあるんだと思いますし、その術を一緒に考えていっているつもりです。とにかく、納得して進路を選んでほしいと思います。
勝手に割り引かないこと ― 2014年09月06日 21:40
2学期早々ですが、もうそろそろ第2回の定期テストの時期です。
早いところでは、あと2週間ほどです。
改めて今回、テスト勉強の進め方を指示しました。
定期テストは範囲も決まってます。問題の出方もほぼ決まってます。
ということは、問題を見た瞬間に答えが思い浮かぶ、もしくは、解き方の方針が立つ
でなければ、試験当日にほとんど役に立たないと言うことです。
与えられた課題をやって、分からないところをきいたり、答えを確認したりするだけでは、せいぜい良くて平均点くらいしかとれません。
再現性が乏しいからです
そこからしつこく繰り返して、自分の知識にしない限り、テストで良い結果を出すのは無理です。
逆に言えば、成績の良い子は、そういう努力をしています。
決して、某通信教育の案内みたいに、これさえやってれば良いという、魔法のやり方はありません。あれが通用するのは、一定以上の学力があることが大前提です。
効率を追求するのはかまわないのですが、何が効率的かを分かるのは、当然ある程度の実力がいります。
その実力がないと思ったら、愚直にやるしかないのです。
だから、人のアドバイスは勝手に割り引いたりせず、まずはガムシャラでいいから取り組んでみてください。
それができて初めて、それ以上の段階に上がれるのだと言うことを自覚して欲しいと思います。
まあ、言うは易く行うは難し。
だからこそ、うまく塾を利用して欲しいなって思います。
早いところでは、あと2週間ほどです。
改めて今回、テスト勉強の進め方を指示しました。
定期テストは範囲も決まってます。問題の出方もほぼ決まってます。
ということは、問題を見た瞬間に答えが思い浮かぶ、もしくは、解き方の方針が立つ
でなければ、試験当日にほとんど役に立たないと言うことです。
与えられた課題をやって、分からないところをきいたり、答えを確認したりするだけでは、せいぜい良くて平均点くらいしかとれません。
再現性が乏しいからです
そこからしつこく繰り返して、自分の知識にしない限り、テストで良い結果を出すのは無理です。
逆に言えば、成績の良い子は、そういう努力をしています。
決して、某通信教育の案内みたいに、これさえやってれば良いという、魔法のやり方はありません。あれが通用するのは、一定以上の学力があることが大前提です。
効率を追求するのはかまわないのですが、何が効率的かを分かるのは、当然ある程度の実力がいります。
その実力がないと思ったら、愚直にやるしかないのです。
だから、人のアドバイスは勝手に割り引いたりせず、まずはガムシャラでいいから取り組んでみてください。
それができて初めて、それ以上の段階に上がれるのだと言うことを自覚して欲しいと思います。
まあ、言うは易く行うは難し。
だからこそ、うまく塾を利用して欲しいなって思います。
不要 ― 2014年09月10日 23:52
iPhone6が出るとかで、ここ数日ニュースになってます。
スマホほしいと思う子が増える頃です。
ご家庭の方針もあるので、強くは言えませんが、中学生以下は、原則スマホ不要だと思ってます。
大人でもその誘惑を断ち切れないのに、勉強と両立してうまく使いこなせる中学生が、そんなにいるとは思えないからです。
わざわざ高いお金を払って、成績を下げているようなものです。
結局スマホで何をしているかというと、Line、YouTube、ゲームでしょう。
あとはTwitterですかね
基本的に、相手があって成り立つものです。
群れたがる年齢の子に、Lineは渡りに船です。
夢中になってしまうのはわかります
(個人的には、学校の人間関係を自宅でも引きずる行為は、私の想像の範疇を超えてますが・・・)
何度も書いてますが、勉強とはベクトルが全く逆です。
勉強は、自分と向き合って、自分を追い込む作業です。
親和性はないと言っても良いと思います。
スマホ傍らに勉強は、成り立たないと言うことです。
しかし、快不快が行動原則の子にとっては、どっちを取るかは自明です。
基本的には不要。
どうしても与えるなら、夜間の制限を控えるなど、親子でしっかりとしたルール作りが必要です。
スマホほしいと思う子が増える頃です。
ご家庭の方針もあるので、強くは言えませんが、中学生以下は、原則スマホ不要だと思ってます。
大人でもその誘惑を断ち切れないのに、勉強と両立してうまく使いこなせる中学生が、そんなにいるとは思えないからです。
わざわざ高いお金を払って、成績を下げているようなものです。
結局スマホで何をしているかというと、Line、YouTube、ゲームでしょう。
あとはTwitterですかね
基本的に、相手があって成り立つものです。
群れたがる年齢の子に、Lineは渡りに船です。
夢中になってしまうのはわかります
(個人的には、学校の人間関係を自宅でも引きずる行為は、私の想像の範疇を超えてますが・・・)
何度も書いてますが、勉強とはベクトルが全く逆です。
勉強は、自分と向き合って、自分を追い込む作業です。
親和性はないと言っても良いと思います。
スマホ傍らに勉強は、成り立たないと言うことです。
しかし、快不快が行動原則の子にとっては、どっちを取るかは自明です。
基本的には不要。
どうしても与えるなら、夜間の制限を控えるなど、親子でしっかりとしたルール作りが必要です。
正式決定 ― 2014年09月11日 16:03
来年度の都立高校入試 第一次募集・分割前期募集の入試日と合格発表日が、正式に決まったようです。
2月24日 試験日
3月2日 合格発表
昨年より日曜を除いて中1日採点日が延びました。
試験翌日と翌々日は高校の授業を休止して、採点に当てるようです
(今まで、これを徹底していなかったことが不思議)
また20校程度、マークシートを試験的に導入するそうで、そのモデル校は来月に決まるそうです。
これにより、採点ミスがどれだけ防げるか?
今回の一連のミスは、いかにもお役所仕事の典型のようで、真剣に受験生を送り出す身としては、情けない限りでした。
彼らは人生かけて臨んでます。
それに応えるようにして欲しいです。
2月24日 試験日
3月2日 合格発表
昨年より日曜を除いて中1日採点日が延びました。
試験翌日と翌々日は高校の授業を休止して、採点に当てるようです
(今まで、これを徹底していなかったことが不思議)
また20校程度、マークシートを試験的に導入するそうで、そのモデル校は来月に決まるそうです。
これにより、採点ミスがどれだけ防げるか?
今回の一連のミスは、いかにもお役所仕事の典型のようで、真剣に受験生を送り出す身としては、情けない限りでした。
彼らは人生かけて臨んでます。
それに応えるようにして欲しいです。
変化をつけないと、あっという間に風景と化す ― 2014年09月16日 13:30
1週間くらい前に、近所を走る電車内に広告を出さないかと、勧誘を受けた。
電車の窓の上にあり、つり革で立っている人の真正面に来る、いわゆる窓上広告。沿線案内という体裁で、いくつかの広告主が共同で出すやつである。
掲載は1年間。
一応資料はもらったが、費用対効果を考えて断った。
以前、最寄り駅に広告を1年間出したことがあったが、直接の効果はなし。現在は近くの学校の正門前で電柱広告をやっているが、これも今のところ大きな効果はなさそう。ただ電柱広告は、コストとしてまあまあやっていけるレベルなので、もう少しだけ続ける。
広告って結局のところ、常に変化を出していかないとなかなか訴求力はないのかもしれない。あっという間に日常の風景と化してしまう。
窓上広告も、毎日見るので訴求力はある、と言う広告会社の売りだが、広告に囲まれて暮らしていると、たぶん意識にはあまり残りにくい。
結局、短期間で変化をつけられる中吊り広告や、最近目立ってきた、ドア上の映像広告が交通広告の王道なのかもしれない。
しかし最近の社内を見ると、大半がスマホとにらめっこ。
交通広告の効果も落ち、広告主も減っているんだろう。
うちの近所の線も、中吊りの主役である雑誌が減り、パチンコ屋や某衣料品店が目立つ。さらには、東急の関連会社の不動産などの広告が目立つようになってきた。
それも、結構掲載期間が長くなる傾向。
さすがに空っぽはみっともないので、何とか穴埋めしているのが現状なのだろう。
肝心な窓上広告は、本当にスカスカになってきた。代理店には申し訳ないが、それだけ車内がスッキリしてきたので、個人的には良いことかなって思うけど。
時代の流れで苦しくなっているのかもしれない
だから、うちみたいな、以前なら見向きもしないところに営業に来るのかもしれない。
そういえば、数年以内に出る予定の山手線の新車は、とうとう中吊り広告のスペースがなくなる。
ドア上の映像広告だけになる予定。
広告代理店の反発もあったと思うが、それでも踏み切るのは、時代の流れと言える。
広告も、マスに打つのではなく、パーソナルに向けて打つのが主流になってくるのかもしれない。
電車の窓の上にあり、つり革で立っている人の真正面に来る、いわゆる窓上広告。沿線案内という体裁で、いくつかの広告主が共同で出すやつである。
掲載は1年間。
一応資料はもらったが、費用対効果を考えて断った。
以前、最寄り駅に広告を1年間出したことがあったが、直接の効果はなし。現在は近くの学校の正門前で電柱広告をやっているが、これも今のところ大きな効果はなさそう。ただ電柱広告は、コストとしてまあまあやっていけるレベルなので、もう少しだけ続ける。
広告って結局のところ、常に変化を出していかないとなかなか訴求力はないのかもしれない。あっという間に日常の風景と化してしまう。
窓上広告も、毎日見るので訴求力はある、と言う広告会社の売りだが、広告に囲まれて暮らしていると、たぶん意識にはあまり残りにくい。
結局、短期間で変化をつけられる中吊り広告や、最近目立ってきた、ドア上の映像広告が交通広告の王道なのかもしれない。
しかし最近の社内を見ると、大半がスマホとにらめっこ。
交通広告の効果も落ち、広告主も減っているんだろう。
うちの近所の線も、中吊りの主役である雑誌が減り、パチンコ屋や某衣料品店が目立つ。さらには、東急の関連会社の不動産などの広告が目立つようになってきた。
それも、結構掲載期間が長くなる傾向。
さすがに空っぽはみっともないので、何とか穴埋めしているのが現状なのだろう。
肝心な窓上広告は、本当にスカスカになってきた。代理店には申し訳ないが、それだけ車内がスッキリしてきたので、個人的には良いことかなって思うけど。
時代の流れで苦しくなっているのかもしれない
だから、うちみたいな、以前なら見向きもしないところに営業に来るのかもしれない。
そういえば、数年以内に出る予定の山手線の新車は、とうとう中吊り広告のスペースがなくなる。
ドア上の映像広告だけになる予定。
広告代理店の反発もあったと思うが、それでも踏み切るのは、時代の流れと言える。
広告も、マスに打つのではなく、パーソナルに向けて打つのが主流になってくるのかもしれない。
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