余韻2016年11月29日 00:49



日頃の勉強に対する態度って、授業が終わったときにも出てくる。

嫌いな生徒、できない生徒は、終わったらサッサと終わる。外連味も全くない。
片付けるも何もなく、いきなり席を離れる。

場合によっては、持ってきたスマホなどを眺める。

それから、片付ける。

とにかく、ああ終わった! やれやれ・・・ 感があふれてる

それに対して、比較的よくできる生徒は、今やったところをもう一回見直したり、与えられた宿題を少し自分でやろうとしている。

余韻を残すか、未練なくバッサリ切り捨てるか

時間にしてわずか1~2分程度のことだが、こんなに態度が違う。


勉強できるコツとして、終わった後1分程度で良いから、今日やったことを確認するだけでも全然違う。


成績の善し悪しというのは、その時々の理解度だけではなく、こういう生活の細かいところにまで出てくる。

総合的に見る必要性を、痛切に感じる。

自由な時間2016年11月29日 12:36

こういう立場でいうのも何だが、生徒達を見ていて日々感じていること。


思春期くらいになると、自分の世界を持つようになる。
家族という枠以外に、友達関係の中で自分の枠を持つ。
学校の友達、部活の友達、そのほか・・・

友人関係の中で、お互いを鏡のように反映しあい、少しずつ自分を知り、相手との距離をつかんでいく。
社会の中で活きるという自覚も芽生える。

しかしその友人関係は、基本的に時間がないと無理。
ある意味、ヒマな時間が必要。

しかし昨今、あふれるばかりの情報。
ついつい、子供にはこれをしてあげなければと、放課後や休日の、彼らのヒマな時間は埋まってしまう傾向にある。


親御さんの熱心な気持ちはよくわかる。
しかし過剰になりすぎると、ただ単にこなすだけになってしまう。

まだまだ精神的にも身体的にも成長過程。
大人と同じようには行かない。
うまくいかないことも多い。

みかねてついつい・・・

こういう状態はまだ良い。
問題なのは、良い子ほど、親の期待に応えようと頑張りすぎてしまうこと。
一見するとうまく回っているように見えるから、注意が必要。

注意深く見ていると、態度の端々に出てくる。ただ単にうまく言語化できないだけ。


子供達には自由な時間が必要。
一人で何かをするのもよし、友達と遊ぶのも大いによし。

そういうゆとりがあって、はじめてうまく育つのではないかなと思う。

やはり人間、特に子供は機械ではない。
適当に緩めることも大事。
緩める時期があるからこそ、集中的に何かをやる時期が活きてくる。

多少自己矛盾もはらんでいるが、うちに来ている生徒は基本的に塾でのびのびしてる。
遊んでいるわけではない。精神的な抑圧があまりないんだということを感じる。

そんな様子から日々感じていること。

「空」(くう)の心でありのままに見る2016年11月30日 16:12

物事を考えるときの基本

現状をありのままに受け入れること

ここで私情が入ったり、自分の欲が入ると見る目が曇る。

迷走の始まり


なかなか難しいことだけどね。

概して物事がうまく進まないと言うことは、その方法が間違っていると言うこと。
それを教えてくれている。

しかし人間は往々にして都合よく解釈する。


そこに葛藤が生じる。

こうせねば!という願望は、得てして他人の目からみた自分。
その他人の目というのも、実は自分の主観だったりする。

でもね、自分に照らせばよくわかるけど、他人のことなんてそんなに見てないのよ。

私は就職に失敗し、前職も放り出され、この仕事を始めたとき、恥とか外聞とほとんど気にしなくなった。もちろん非常識なことはしてないつもり

独立した当初、やめた経緯が経緯なので好奇の目にさらされた。
でも、そんなの無視した。
他人が自分の人生に何かをしてくれるわけではない

好奇な目に自分が振り回されるのは御免。

そうしてくるうちにいつの間にか好奇の目なんてどっか行く。
人の噂も七十五日とはよく言ったもの。


思い込みや願望を捨てて、物事をありのままに見る
そこから素直に解決策を探っていく。
いちいち他人の反応に目くじらを立てたところで、本当の解決になどならない。

何度も言うが、他人はそんなに自分のことなど見てない。
だからこそ、堂々と。

難しいことは承知の上だが。