宿題に対する向き合い方 ― 2015年10月02日 12:17
定期テスト前には、各科目大量の宿題が出されるのが通例。
この宿題の量に、
腰が引けて適当にやろうとするのか?(答えを丸写ししてごまかすのも含む)
自分なりに頑張ってやろうとするのか?
その差は予想以上に大きい。
少し話は飛躍するが、こういう姿勢が大人になってからも影響が続くことは間違いない。
学校の成績など社会に出てから関係ないのは事実だが、成績を取る過程で得られる姿勢が重要なことは事実だ。
正直なところ、中学校レベルの定期テストで5科目300~350点くらいまでは、学習量でほぼ決まる。
それ以下の場合は、おしなべて量をやっていない。例外はもちろんあるが、例外を基準にものは考えられない。
当然、学校の宿題も直前までほとんどやらない。
あきらめてしまうか、適当に答えを見ながら帳尻合わせして、勉強した気になる。
(余談だが、帳尻あわせでごまかすことを覚えると、後々大きなツケになる。)
当然、試験は実力が反映される。
確かに学校の宿題は、個々人の学力を考慮されてはいない。
だからといって、適当にやって良いと言うことにはならない。
まずは学校の宿題を通じて、試験範囲の勉強の取りかかりにする。
その宿題を直前まで白紙状態と言うことは、そもそもにおいて勉強をしていないと言うこと。
確かに中学生くらいだとまだまだ、目先の快楽に影響されやすいが、それを一つ一つ乗り越えてこそ大人になっていく。
勉強するとは言っても、そこに様々な前提条件がつく。
中学生くらいを教えていて、毎日悩むのが、まさにこれである。
幼いまま社会に出してはいけないと思うのだが、一筋縄ではいかないのも事実。
この宿題の量に、
腰が引けて適当にやろうとするのか?(答えを丸写ししてごまかすのも含む)
自分なりに頑張ってやろうとするのか?
その差は予想以上に大きい。
少し話は飛躍するが、こういう姿勢が大人になってからも影響が続くことは間違いない。
学校の成績など社会に出てから関係ないのは事実だが、成績を取る過程で得られる姿勢が重要なことは事実だ。
正直なところ、中学校レベルの定期テストで5科目300~350点くらいまでは、学習量でほぼ決まる。
それ以下の場合は、おしなべて量をやっていない。例外はもちろんあるが、例外を基準にものは考えられない。
当然、学校の宿題も直前までほとんどやらない。
あきらめてしまうか、適当に答えを見ながら帳尻合わせして、勉強した気になる。
(余談だが、帳尻あわせでごまかすことを覚えると、後々大きなツケになる。)
当然、試験は実力が反映される。
確かに学校の宿題は、個々人の学力を考慮されてはいない。
だからといって、適当にやって良いと言うことにはならない。
まずは学校の宿題を通じて、試験範囲の勉強の取りかかりにする。
その宿題を直前まで白紙状態と言うことは、そもそもにおいて勉強をしていないと言うこと。
確かに中学生くらいだとまだまだ、目先の快楽に影響されやすいが、それを一つ一つ乗り越えてこそ大人になっていく。
勉強するとは言っても、そこに様々な前提条件がつく。
中学生くらいを教えていて、毎日悩むのが、まさにこれである。
幼いまま社会に出してはいけないと思うのだが、一筋縄ではいかないのも事実。
温度差が大きい ― 2015年10月08日 11:48
気温の日較差ではありません。
高校生と一部の私立を除き、中間テストが終わり、結果が返ってきてます。
まあ、だいたい予想通りの成績です。
有り体に言えば、日頃の学習態度が正直に反映されてます。
特にこの学習態度が大きく出るのが、学校の課題。
1週間前には終わらせることを目標にさせてますが、忠実に守る子もいる反面、実際には前日までかなり白紙状態という子もいます。白紙に近い子は、やってあるページも雑です。一目見れば、一生懸命やっているか否かはハッキリわかるレベルです。
確かに、学校の課題は個々の学力を考慮してません。
難しい問題も含みます。
しかしそれでも課題は課題。
できる範囲で努力して出す、というのが本来の姿です。
その上で、わからないところは質問なり調べたりなどして解決。
どうしてもできないところは、まあ空欄でも良いでしょう。
中途半端に解答を丸写ししても意味がありません。
体裁だけ整えても見る人が見ればすぐわかりますので。
しかしそれすらできない。やらない?
その気持ちはわかりますが、やるしかないというのが実情。
中学生くらいで、ある程度の自律性を培っておかないと、たぶんそのままの態度が固定化されます。
学習態度は中学生くらいである程度固まります。
いろいろな生徒を見ていて確信してます。
今ある学力ごとに振り分けられるのが高校受験の本質ですから、えり好みをしなければ、よほどのことがない限り進学に困ることはないでしょう。
しかし、高校行っても同じようなことを続けるのです。卒業はできるでしょうが、その先はどうなのでしょうか?
周りの大人がいろいろ言ってくれるのは、高校生くらいまでです。
いきなりポンと放り出されて困るのは自分です。
自己責任と言ってしまえばそれまでですが、あまりにも残酷ですから、私はそんなこと言えません。
しかし、最後は本人がやろうとしない限りはどうしようもない。
確かに、中学生くらいの勉強だと大してやらずにできてしまう子はいます。
しかしそれは例外。
大概は、まじめな態度で取り組んでいるからできています。
態度と成績はだいたい比例します。
さっと宿題を終わらせる子
ギリギリまで残す子
同じ成績を取るわけがないですな。
中学生あたりはまだまだ未熟。
時には本能レベルでの戦いを余儀なくされることもしばしば。
画一的な教育方法ではどうにもならないこともしばしば。
そのさじ加減が大事でもあるし、醍醐味でもあります。
ここ数年でようやくその呼吸がつかめるようになってきましたが、まだまだ修行が足らない。
そう思います。
高校生と一部の私立を除き、中間テストが終わり、結果が返ってきてます。
まあ、だいたい予想通りの成績です。
有り体に言えば、日頃の学習態度が正直に反映されてます。
特にこの学習態度が大きく出るのが、学校の課題。
1週間前には終わらせることを目標にさせてますが、忠実に守る子もいる反面、実際には前日までかなり白紙状態という子もいます。白紙に近い子は、やってあるページも雑です。一目見れば、一生懸命やっているか否かはハッキリわかるレベルです。
確かに、学校の課題は個々の学力を考慮してません。
難しい問題も含みます。
しかしそれでも課題は課題。
できる範囲で努力して出す、というのが本来の姿です。
その上で、わからないところは質問なり調べたりなどして解決。
どうしてもできないところは、まあ空欄でも良いでしょう。
中途半端に解答を丸写ししても意味がありません。
体裁だけ整えても見る人が見ればすぐわかりますので。
しかしそれすらできない。やらない?
その気持ちはわかりますが、やるしかないというのが実情。
中学生くらいで、ある程度の自律性を培っておかないと、たぶんそのままの態度が固定化されます。
学習態度は中学生くらいである程度固まります。
いろいろな生徒を見ていて確信してます。
今ある学力ごとに振り分けられるのが高校受験の本質ですから、えり好みをしなければ、よほどのことがない限り進学に困ることはないでしょう。
しかし、高校行っても同じようなことを続けるのです。卒業はできるでしょうが、その先はどうなのでしょうか?
周りの大人がいろいろ言ってくれるのは、高校生くらいまでです。
いきなりポンと放り出されて困るのは自分です。
自己責任と言ってしまえばそれまでですが、あまりにも残酷ですから、私はそんなこと言えません。
しかし、最後は本人がやろうとしない限りはどうしようもない。
確かに、中学生くらいの勉強だと大してやらずにできてしまう子はいます。
しかしそれは例外。
大概は、まじめな態度で取り組んでいるからできています。
態度と成績はだいたい比例します。
さっと宿題を終わらせる子
ギリギリまで残す子
同じ成績を取るわけがないですな。
中学生あたりはまだまだ未熟。
時には本能レベルでの戦いを余儀なくされることもしばしば。
画一的な教育方法ではどうにもならないこともしばしば。
そのさじ加減が大事でもあるし、醍醐味でもあります。
ここ数年でようやくその呼吸がつかめるようになってきましたが、まだまだ修行が足らない。
そう思います。
時間を意識させる ― 2015年10月14日 14:36
成績が中から下位の生徒に仕向ける方法はいくつもあるが、その一つが、時間。
時間を意識させる。
基本的に集中力がないから、ダラダラやることが多い。
まあ、内容がよくわかっていないから余計なんだろうけど
だからこそ、比較的取り組みやすい問題から、時間をきちんと計ってまず取り組ませる。
テストでできない原因の大半は実力不足だが、あの問題量と制限時間に感覚がついて行ってないというのも原因だろう。
時間を計って取り組ませることで、この問題はこの知識が必要なのだと、意識付けさせることにもなる。
学力とスピードは大いに相関関係がある。
だからこそ、まずは形から。
時間を意識させたい。
時間を意識させる。
基本的に集中力がないから、ダラダラやることが多い。
まあ、内容がよくわかっていないから余計なんだろうけど
だからこそ、比較的取り組みやすい問題から、時間をきちんと計ってまず取り組ませる。
テストでできない原因の大半は実力不足だが、あの問題量と制限時間に感覚がついて行ってないというのも原因だろう。
時間を計って取り組ませることで、この問題はこの知識が必要なのだと、意識付けさせることにもなる。
学力とスピードは大いに相関関係がある。
だからこそ、まずは形から。
時間を意識させたい。
話半分程度で ― 2015年10月25日 11:49
高校受験生は、そろそろ志望校を固めるとき。
説明会もこれからドンドン増えてくる。
志望校選定の際に参考にするのがネット。
口コミなどは大いに参考になるだろう。
しかしこのネットの口コミ。
あくまでも一つの意見 と言うくらいにしておいた方が良いと思う。
ネットであまり良い書き込みがなかったとしても、実際はどうかわからない。
当然その逆もしかり。
食べ物屋でもそうなのだが、感想というのは個人の感覚にかなり左右される。
そもそもネットで調べるというのは当たり前の行為になってはいるが、ほとんどの人は読むだけ、見るだけ。
積極的にコメントを書く人は少ない。
ある意味こういうコメントは、少数の人の考えで成り立っているとも言える。
私は学校に関しては、さほど大きな差はないと思っている。あるとしたら、個人的な相性が大きいのではないだろうか?
通う側の気持ちの持ちようで、ずいぶん変わってくると思う。
学校選びというのはなかなか難しい問題だが、自分が信じたところに堂々と行けばいいと思う。
説明会もこれからドンドン増えてくる。
志望校選定の際に参考にするのがネット。
口コミなどは大いに参考になるだろう。
しかしこのネットの口コミ。
あくまでも一つの意見 と言うくらいにしておいた方が良いと思う。
ネットであまり良い書き込みがなかったとしても、実際はどうかわからない。
当然その逆もしかり。
食べ物屋でもそうなのだが、感想というのは個人の感覚にかなり左右される。
そもそもネットで調べるというのは当たり前の行為になってはいるが、ほとんどの人は読むだけ、見るだけ。
積極的にコメントを書く人は少ない。
ある意味こういうコメントは、少数の人の考えで成り立っているとも言える。
私は学校に関しては、さほど大きな差はないと思っている。あるとしたら、個人的な相性が大きいのではないだろうか?
通う側の気持ちの持ちようで、ずいぶん変わってくると思う。
学校選びというのはなかなか難しい問題だが、自分が信じたところに堂々と行けばいいと思う。
親がすべきこと。 まずは認めて、それから・・・ ― 2015年10月26日 12:29
子供の成績を見て、親が焦りを感じる・・・
ある意味当然のことですね。
そしていろいろ策を講じてみる。これも当然のことです。
しかし相手が中学生くらいだと、そう簡単にはいきません。
計画を立てて守らせようとしても、ハイそうですか、と素直に取り組む可能性は低いのです。
ましてや勉強の計画は普通にやっても遅れやすいし。
親も始終つきっきりで見ているわけにもいかず、一週間位して様子を確認したら未消化が多く、これが元でケンカ・・・
双方それぞれ言い分があるので、ケンカはそう簡単には収まらない。
結局、うやむやのまま・・・
いろいろ見ているけど、中学生くらいだと、親が焦ってあれこれ講じてもうまく行かないことの方が多いです。
親の気持ちとこの気持ちが見事にずれている例を、過去にいろいろ見てます。
これは事実です。
当人だって、やる気がないわけではないのです。
なんとかしたいと思っている。
しかし難しい年頃。
また、問題集を一日何ページと言っても、わからない問題があればそこで行き詰まってしまう。
対策はそれぞれなので、一概にどうとは言えないが、まずは子供の現状を認めてあげることでしょうね。
良い悪いは抜き。
自分の子なのに何で・・・ という忸怩たる思いはあると思うが、そこは封印してください。
その上で、どうしたら良いかをしっかり話し合う。
その際、自分の子ども時代の経験を踏まえて、学習することの大事さを自分の言葉で話す。しっかり向き合って話す。
そして、ここが大事ですが、
「決して評論家になってはいけない。」
評論家の何がまずいって、評論されるだけだと、そこに子供が愛情を感じなくなるから。
子供は大人に信頼されて、認められて、はじめて勉強するようになるのです。
これだけしかできないのか・・・
それで間に合うのか・・・(何に?)
という思いも封印してください。
もし現状がそうなら、それを認めるしかないから。
そこから、できることを一歩一歩積み上げていくしかないのです。
格好つけても仕方ありません。
何があっても、自分は味方だ という思いを子供に持たせてあげることが一番大事です。
余談ですが、私は生徒の親でも何でもありませんが、そういう気持ちで向き合っているつもりです。
だからこそ少々きついことを言われても、生徒は休まず来てくれるんだと思います。
大人が信用してくれなければ子供は立つ瀬がない。
ましてや一番身近な大人は親です。
結局子育てって、自分が試されているんですよね。
私に子供はいませんが、間接的にそれに気づかされている毎日です。
ある意味当然のことですね。
そしていろいろ策を講じてみる。これも当然のことです。
しかし相手が中学生くらいだと、そう簡単にはいきません。
計画を立てて守らせようとしても、ハイそうですか、と素直に取り組む可能性は低いのです。
ましてや勉強の計画は普通にやっても遅れやすいし。
親も始終つきっきりで見ているわけにもいかず、一週間位して様子を確認したら未消化が多く、これが元でケンカ・・・
双方それぞれ言い分があるので、ケンカはそう簡単には収まらない。
結局、うやむやのまま・・・
いろいろ見ているけど、中学生くらいだと、親が焦ってあれこれ講じてもうまく行かないことの方が多いです。
親の気持ちとこの気持ちが見事にずれている例を、過去にいろいろ見てます。
これは事実です。
当人だって、やる気がないわけではないのです。
なんとかしたいと思っている。
しかし難しい年頃。
また、問題集を一日何ページと言っても、わからない問題があればそこで行き詰まってしまう。
対策はそれぞれなので、一概にどうとは言えないが、まずは子供の現状を認めてあげることでしょうね。
良い悪いは抜き。
自分の子なのに何で・・・ という忸怩たる思いはあると思うが、そこは封印してください。
その上で、どうしたら良いかをしっかり話し合う。
その際、自分の子ども時代の経験を踏まえて、学習することの大事さを自分の言葉で話す。しっかり向き合って話す。
そして、ここが大事ですが、
「決して評論家になってはいけない。」
評論家の何がまずいって、評論されるだけだと、そこに子供が愛情を感じなくなるから。
子供は大人に信頼されて、認められて、はじめて勉強するようになるのです。
これだけしかできないのか・・・
それで間に合うのか・・・(何に?)
という思いも封印してください。
もし現状がそうなら、それを認めるしかないから。
そこから、できることを一歩一歩積み上げていくしかないのです。
格好つけても仕方ありません。
何があっても、自分は味方だ という思いを子供に持たせてあげることが一番大事です。
余談ですが、私は生徒の親でも何でもありませんが、そういう気持ちで向き合っているつもりです。
だからこそ少々きついことを言われても、生徒は休まず来てくれるんだと思います。
大人が信用してくれなければ子供は立つ瀬がない。
ましてや一番身近な大人は親です。
結局子育てって、自分が試されているんですよね。
私に子供はいませんが、間接的にそれに気づかされている毎日です。
やはり昼間の方が・・・ せめて土日だけでも ― 2015年10月28日 12:18
プロ野球日本シリーズが始まり、今日の時点でソフトバンクの2勝1敗。
今夜第4戦
その昔、日本シリーズは全試合デーゲームだった。
平日でも昼間の開催。
試合が始まる午後1時頃はまだ日が高いのだが、終盤の午後4時くらいには、もうすっかり日も傾き、球場は薄暗くなる。
秋の日はつるべ落としを実感するとともに、1年の長いシーズンも終わるんだと、画面から感じられた。
そう、日本シリーズは、季節感を表していた。
たぶんその感覚は、高校野球に近い。
それがいつの間にか全試合ナイター。
テレビの視聴率や、観客動員から考えれば、その方が良いんだろう。
ドーム球場が増えたことも要因だろう。
しかし、季節感はいつの間にか消えた。
季節感が切り離されたスポーツは、国民の関心事から外される。
観客動員数は好調なようだが、みんながみんな興味があることではなくなる。
現に、うちの生徒はあまり興味がない人が多い。
ところで、日本シリーズで思い出すのが、中学校時代のこと。
誰かがこっそりラジオを学校に持ち込み、試合経過を逐一報告。
放課後になると、半ば堂々とラジオを皆で聞く。
特に印象に残っているのが、1983年の巨人対西武のシリーズ。これは球史に残るシリーズとされている。
確かあのときは、先生の黙認で、教室のテレビを見せてもらった気もするなあ。
たぶんラジオも先生は知っていたと思う。
悪いことだと思ってはいるが、良い意味で曖昧にしてくれた。
大人だって勤務中に、「日本シリーズ中継してます」という喫茶店にしけ込んだ人は多かったはずだ。
大らかな時代だった。
今は、この大らかさが、少し欠けている気がする。
まじめは大事だが、清濁併せのむ余裕も時には必要。
そんなことを子供たちに伝えることも、ある意味必要なんだと思う。
話を戻す。
日本シリーズは、せめて土日だけでもデーゲームを!
季節感を取り戻してほしい。
今夜第4戦
その昔、日本シリーズは全試合デーゲームだった。
平日でも昼間の開催。
試合が始まる午後1時頃はまだ日が高いのだが、終盤の午後4時くらいには、もうすっかり日も傾き、球場は薄暗くなる。
秋の日はつるべ落としを実感するとともに、1年の長いシーズンも終わるんだと、画面から感じられた。
そう、日本シリーズは、季節感を表していた。
たぶんその感覚は、高校野球に近い。
それがいつの間にか全試合ナイター。
テレビの視聴率や、観客動員から考えれば、その方が良いんだろう。
ドーム球場が増えたことも要因だろう。
しかし、季節感はいつの間にか消えた。
季節感が切り離されたスポーツは、国民の関心事から外される。
観客動員数は好調なようだが、みんながみんな興味があることではなくなる。
現に、うちの生徒はあまり興味がない人が多い。
ところで、日本シリーズで思い出すのが、中学校時代のこと。
誰かがこっそりラジオを学校に持ち込み、試合経過を逐一報告。
放課後になると、半ば堂々とラジオを皆で聞く。
特に印象に残っているのが、1983年の巨人対西武のシリーズ。これは球史に残るシリーズとされている。
確かあのときは、先生の黙認で、教室のテレビを見せてもらった気もするなあ。
たぶんラジオも先生は知っていたと思う。
悪いことだと思ってはいるが、良い意味で曖昧にしてくれた。
大人だって勤務中に、「日本シリーズ中継してます」という喫茶店にしけ込んだ人は多かったはずだ。
大らかな時代だった。
今は、この大らかさが、少し欠けている気がする。
まじめは大事だが、清濁併せのむ余裕も時には必要。
そんなことを子供たちに伝えることも、ある意味必要なんだと思う。
話を戻す。
日本シリーズは、せめて土日だけでもデーゲームを!
季節感を取り戻してほしい。
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